2023年9月 弁理士試験論文式試験結果その他

 

弁理士論文試験結果

 7月のリベンジ戦(n=2)に無事受かっていた。詳細は以下の通りで、割とスレスレであった(54点を超えたら恐らく受かるだろうとされている)。スレスレッタ・マーキュリーですね、2クール目観てないけど。

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 特に特実は前年度試験と同じ得点である。この1年はいったい何だったのか? まぁ特許を専門にするつもりはないし勝てば官軍ということで、無事「人生リベンジ完了、だろ?」*1となりました。

 とはいえ、今振り返ると去年は全然準備が足りていなかったなと強く感じる中での53.5点だったので、「今年受からなかったら嘘だろ……」とは正直思っていた。ようやっと発表があって一安心です。今勤めている事務所には試験に受かるだろうという前提で採ってもらっていたので、事務所に顔も立つし、良かったにゃんです。

 目下の問題は口述試験の勉強をほとんどしていないということなのですが、もうパターンに入った感じがあるのでなんとかなるでしょう(というのは、口述試験の合格発表日が自分の誕生日なのだ)。とか言って落ちたら洒落にならないのだが。

 一刻も早く実務を覚えて企業知財部に戻りたい!

 

出ましたっ!パワパフガールズZ』4話

多ぶん、あなたは結婚すれば、世の中を嫌ふ心が薄らぎませう。

シャトーブリアン『ルネ』*2

 

 何の気なしに『パワパフZ』を視聴したところちょっと面白かったので、軽めの感想を書きます。

 

 ざっくり言って、『パワパフZ』第4話「ガールズ、家族の絆!」とは、男性にとっての救済が女性の愛にあること及び家庭の重要性を主張する保守的な(一部は前時代的な)話ではないかと思います。強い言い方をすると、女性を当てがえ論としての『パワパフZ』となる、かも。

 

あらすじ:

 ユートニウム博士の息子・ケンに母親がいないことを知ったブロッサム、バブルス、バターカップらガールズ3人は、交代でケンの母親代わりを務めることを決める。こう言うと聴こえは良いが、実際にはガールズがお姉さんぶるために息子役としてケンをあてがっただけであり、ロクに洗濯も料理もできないガールズによりケンは多大な迷惑を被り、結果としてプチ家出をすることとなる*3。しかし心の底では母親がいないことを少なからず気にしており、公園で家族の団らんを見て寂しそうな顔を浮かべるケン。その心の隙間を狙ったのがガールズの敵・モジョであった。孤独なケンに身勝手な親近感を抱いたモジョは、ケンを強制的に家来にしてしまう。仕方なくモジョに付き従う中で、ケンは遊園地にいる幸せそうな家族の団らんを破壊することを命じられるが、ここでガールズが颯爽と登場。ケンを窮地から救い出す。その後、ガールズはケンに「俺たちやケンだって家族だろ」「ママは無理だったけど、お姉さんにはなれるわ」と励まし、ケンは「家族っていいものですね」と独りごちるのであった。

 

 まず確認しておきたいのは、第4話においてモジョが明らかに(今で言う)「弱者男性」的存在として描かれている点です。Bパート冒頭、モジョはハートフルなTVドラマを観て「なにが家族だモジョ! 絵に書いたような幸せ家族やりやがって!」とTVを破壊し、街に繰り出しても一家団欒を見かけてはこれを邪魔します。

 ここで彼の攻撃の対象となっているのは幸せな家族です。そして、家族というのは、1つには互いに互いを愛する人たちの集まりです。他方、モジョにはパートナーや子どものような自分を愛してくれる人たちがいません。

 つまり、モジョは「愛されていない存在」であり、だからこそモジョは幸せな家族が憎くて仕方がない。ここには誰からも愛してもらえないという孤独を抱える一部の現代人の心性が明確に描写されています。また、モジョは今にも崩れそうなあばら家に住んでカップラーメンをすすっているなど貧困に喘いでいる様子が伺えます。このような描写から、私たちは思わずモジョに「弱者男性」を見ずにはいられません。

 

モジョちゅうのは、喪女の事やね。

さっき弱者男性いうてたやないですか。*4

 

 そしてこの点は、自分の「スーパー家来」にしてしまう程にモジョがケンに親近感を抱いた理由とも深く関わってくる。

 ガールズがケンの母親代わりを務めることを決めたとき、その建前として用意されたのは、ケンが「母親の愛に」「飢えて」おり、その愛を与える必要があるから、というものです。つまり、ケンは「愛されていない存在」としてガールズに規定されます。モジョがケンに親近感を抱くのはまさにこの点です。

 ただし、実際には父親であるユートニウム博士が存命であって彼から勉強を教えてもらうなどネグレクトされている様子も見受けられないので、ケンが父親から愛を受けていないということはないはずです。なので、むしろここからは「女性こそが愛を与え、愛を教える役割を担っている」という規範が前提されていることを読み込むべきでしょう。家庭内において子どもに愛を与える母親を持たないケンは、故に愛を知らない、愛されていない、と。

 いちおう付言しておきますが、このような規範は前時代的で、息苦しいなという印象が否めません(母親のいない子供は愛を知らないかと言えば、別にそんなことはないでしょうね)。

 

 まあとにかくモジョはケンが「愛されていない」という点に親近感を抱いたわけですが、ここでモジョがケンと連体を組む(=水平的すなわち平等な関係)のではなく、ケンを家来(=垂直的すなわち支配・被支配の関係)にしてしまうところが物悲しさを誘います。ケンに言うことを聞かせるときも、電撃を流して罰を与える方法を採ってますからね。愛を教えてもらえなかったからこそ他人を愛する術を知らず、支配・被支配の関係しか構築できないという負の連鎖。どのようにしてこれを抜け出すかというのは、本作にとどまらない1つの社会問題と言えるでしょう。

 

 さて、ここまでモジョとケンとは互いに「愛されていない存在」として近しく描かれてきましたが、彼らが決定的に異なるのはガールズのような存在の有無です。

 家来となったケンを助ける際、ガールズは「よくも私たちのかわいい息子を!」「酷い目に合わせたわね!」「ぜってー許さねえ!」とモジョに啖呵を切ります。年上の女の子がこんなこと言ってくれたら、ナイーヴな男の子は嬉しくてたまらないですね。

 ガールズによって窮地を救われたケンは、「家族っていいものですね」とひとりごちる。幸せな家族を憎むモジョと違ってケンがこのように言えるのは、ガールズが助けてくれたから、すなわち、ガールズが愛を与えてくれたからです。

 ガールズがケンに愛を与えてくれたから、ケンは幸せな家族を攻撃する弱者男性にはならなかった。ここでは、モジョとケンとの決定的な差、すなわち弱者男性になるか否かの分水嶺が女性からの愛であったことが示唆されています。付け加えれば、ガールズはケンの母親役であったことから、ここでは家庭内における母親の愛の重要性というものが強調されていると見ることもできます。

 はじめに、第4話が「男性にとっての救済が女性の愛にあること及び家庭の重要性を主張する保守的な話」と言ったのはこの意味においてです。

 

 なお、ケンを励ますブロッサムの「ママは無理だったけど、お姉さんにはなれるわ」のセリフから、その理路は不明なものの、母親と同様に姉もまた愛を与える存在足りうることが示されます。結局ガールズが母親なのか姉なのかは判然としませんが、ともかく愛を与えるのは女性の専権事項とされていることは明白です。

 しかしながら、このように愛を女性の専権事項とする見方を取る場合、逆に言えば「男は女に愛されなければどうしようもない」ということにもなり、これでは男同士で連帯を組む途が絶たれてしまいます(実際、モジョはケンと水平の関係を築くことができず、垂直の関係しか構築できなかったことは前述の通りです)。こうなると、愛されない男性はどうすればいいかと言えば、もはや女性を強制的にあてがってもらうしかなくなるわけですが、そんなことができるはずもありません。

 結局、このような見方は女性にケアを押し付け、男性はますます孤立するという問題を現在進行系で引き起こしているのであり、男女双方にとって不利益が大きいものです。それではダメなので、女性に愛されるという形にこだわらない、愛を女性の専権事項にしないという方向にシフトしないといけない。重要なのは、セクシュアリティを問わず好きな人とお互いに愛し合うこと(その中には当然結婚も含まれます)であると認識しないといけないですね。ちゃんちゃん。

 

 そして次の問題として浮上してくるのは、「それは分かっている、分かっているのだけど非常に難しい、どうすればいいのか」ということです。一番手っ取り早いのは犬や猫等ペットを飼うことだと思いますけどね(ちゃぶ台がえし)。俺も早く犬か猫を飼いたい。

 

 10月もほどほどに頑張りましょう。

*1:『スマガ』は最後のシーンが本当に良くない。ご都合主義どころの話ではなく、作品を根底から台無しにしていたとすら思う。あれはいかに死を受容するかの話であるべきだった(その意味で、オチがあんな感じでなければ、キューブラー・ロスとか引用しながら論じる文章とかあっても全然おかしくなかったと思う。無益な空想だけど)。

*2:畠中敏郎訳、岩波書店、1938年、167頁

*3:この辺りの描写は、年上の女の子にイジめられたいという男性オタクの欲望の表象のようにも自分には映るのですが、本筋とあまり関係がないので置いておきます。

*4:これがやりたかっただけ。