2022年5月 『おにぱん!』6話 雑感/弁理士試験短答結果

 

 『おにぱん!』6話 雑感

 

 アニメの話だ、オラッ!

 ということで、『おにぱん!』6話のお話をします。

 以下、6話あらすじを引用。

トップアイドル「のりりん」。新曲のPVは配信開始即日で1億再生!SNSフォロワー数も世界トップクラス!歌にバラエティにドラマに引っ張りだこの、まさに最強のトップアイドル!だが、その正体は謎に包まれている。ある日、おにっ子たちは偶然のりりんに遭遇し、その正体を目撃してしまう―…!と、同時にのりりんはとある重大な危機に陥り…!?おにっ子3人はのりりんのピンチを救えるのか!?*1

 『おにぱん!』6話「アイドル伝説のりりん」では「変身」を軸に、つつじ、ひまわり、つゆくさのおにっ子3人と一寸法子とが対照的に描かれていました。具体的には、おにっ子3人と法子はどちらも「変身」することができるという点で共通しているようですが、実際にはその「変身」はまったく異なる意味を持っている、と見ることができます。

 以下では、「変身」にまつわる3つの点からおにっ子3人と法子との差異を明らかにしていきます。その3点とは、変身前後での同一性の認識、付与される能力の有無、「変身」に対する価値観です。

 

 変身前後での同一性の認識について

 おにっ子3人は、彼女ら自身や周囲の人々が変身前と変身後の彼女らを同一の人物であると認識しているでしょうか。

 「おにぱんチェンジ」に際して、おにっ子3人は周囲の人々が見ている中で堂々と変身しています(しかも、わざわざ「おにぱん」が見られる態様で!)。これは彼女たちが鬼のイメージアップを目的としている以上、当然のことです。というのは、「おにぱんチェンジ」をして人々を助けているのはおにっ子3人であって、変身前と後とは同一の人物である、と市井の人々に認識してもらわなければ鬼のイメージアップに繋がらないからです。

 また、初回で説明があったように、おにっ子3人は「おにぱんチェンジ」をしたところでその衣装が変わるのみであり、なにか特別な能力が付与されるということはなく、言わば「おにぱんチェンジ」は単なる着替えに過ぎません。つまり、「変身」をしたところで、おにっ子3人は外観上の差異についても、能力という実質的な差異についても大きく変わることはないということです。

 したがって、人々は変身前のおにっ子3人と変身後のおにっ子3人とを当然に同一の存在として認識していると考えられます。同様に、おにっ子3人もまた変身前と後の自身らを同一の存在だと考えている、と考えるのが自然でしょう。

 

 他方、法子は自身の正体、すなわち実は法子がのりりんであるという事実を隠しており、変身の際も周囲の人々に見られないように注意を払っていることが見て取れます。したがって、周囲の人々からは、法子とのりりんとは別人として認識されているということが言えます。

 そして、これは後述する「付与される能力の有無」とも関連することですが、法子自身もまた法子とのりりんとを別の存在として認識していることが作中から伺えます。足早に次項に移りましょう。

 

 付与される能力の有無

 おにっ子3人は「おにぱんチェンジ」をしても衣装が変わるのみであって、特殊能力が付与されるということはありません。この点がおにっ子3人の変身前と後とは同一の存在であるという認識を促す1つの要因となっている、ということは既に述べましたが、この点は同時に法子との対比においても強い意味を持ちます。

 

 劇中、ファンであることの証明としてのりりんの曲を歌うよう要求された法子は、「変身しないと歌えない設定」であることを理由に歌うことを拒否しました。法子はのりりんに変身しないと歌えないというのは、逆に考えれば、法子は変身することで「歌う」ことができるようになる=「歌う」という能力が付与される、と考えることができます。

 法子自身もまた法子とのりりんとを別の存在だと捉えている、と筆写が考えるのは主にこのためです。おにっ子3人が「おにぱんチェンジ」をしても能力を付与されないという事実と対比したとき、この「歌う」ことができるか否か、という点は法子とのりりんとが別の存在であることを決定づける大きな差異となってあらわれてきます。彼女は自身を指して「我は闇にして光。光にして闇」と表現していますが、「変身」による能力の付与は、法子とのりりんとが闇と光のような全く別の存在であるという彼女の認識の原因の1つだということが言えそうです。

 

 このように、おにっ子3人と法子は同じ「変身」をしていても、その内実は全く異なるものであるということが分かります。そしてその異なる内実は、彼女らの「変身」に対する価値観にも影響を与えています。

 

 変身に対する価値観について

 繰り返すように、おにっ子3人は「おにぱんチェンジ」をしたところで衣装が変わるのみであり、何ら能力が付与されることはありません。そのためか、彼女らは「おにぱんチェンジ」できることを理由に偉ぶるようなことはありません。そこには「おにぱんチェンジ」ができる我々が困っている人々を救う、というある種傲慢ともいえる発想はなく、純粋な善意で人々を助けている様子が見て取れます。実際、6話のつつじは打ち出の小槌を「探すので精一杯」で、鬼のイメージアップという本来の目的をすっかり忘れていたわけです。おにっ子3人は、「変身」できることが特別なことだ、偉いことだなどとは考えていません。

 

 一方、法子は「変身」ができることに対して、おにっ子3人とは全く異なる価値観を持ち合わせています。

 6話ではのりりんの姿で街中を歩いてあえてファンに見つかり、視界から外れたタイミングで法子へと戻ることでファンを戸惑わせて楽しむ、という有名人の振る舞いとして品があるとはとてもいえない遊びをしています。なお受け入れがたいのは、そんな当惑するファンの様子を見て、あろうことか「我とは知らずにのりりんを崇める者たちを見るのは、優越」と発言したという事実です。

 このような事実を考慮した上で物語を俯瞰して眺めると、法子は自分の見せたいものだけを見せ、自分だけが真実を知っていて、かつ「成功者」として崇められている、というグロテスクな構図を見て取ることができ、6話において、法子はまるで中二病と呼ばれる人々の出来の悪い妄想を体現したような存在として描かれているということが分かります。

 

 このように、おにっ子3人と法子とは同じ「変身」をしているものの、その内実は全く対照的であることが分かります。おにっ子3人が徹底して現実的であるのに対して、法子は中二病の妄想が体現したような存在として描かれていました。

 したがって、私的には、今後の物語展開において法子のようなキャラクターは1度痛い目を見るべきであると考えます。

 

 余談ですが、『おにぱん!』8話では、「おにぱんはただの着替え」とおにぱんの必要性の無さを認識しながらもおにぱん獲得のためおにっ子3人が試練に挑む、というやや不可解な話が展開されていました。この点からも、おにっ子3人にとって、あるいは『おにぱん!』において「おにぱん」とは何なのか、というのはやはり重要な問いであるように思えてきます。

 

 

 

 いつも月末に上げてるわけですが、今回は筆が遅々として進まず遅れてしまいました(最近めっきり読書ができておらず、ただでさえ少ない蓄積が底をついているせいです)。拙速は巧遅に勝るというので、最低限なにを言いたいかが分かる形にして放流。くそー、悔しい。

 

 

 

 弁理士試験短答結果

 

 特実:11

 意:8

 商:5

 条:8

 著不:9

 合計:41

 

 で、多分通りました。マークミスがあったら笑えないですが。

 特実で最初の3問を間違えていたときは「あ、また1年勉強かー……」と諦めかけましたが、条と著不でなんとか巻き返せました。ただ、商標を専門でやりたいのにこの点数でいいのか、というのは割と深刻に考えています。

 体感的には大学受験とトントンかそれ以上にキツかったです、普通に二度とやりたくない。法のお勉強は、決して苦手ではないが得意ということは全然ない、という感じ。まぁ食べていくための選択として割り切ります。オタクコンテンツカンパニーで知財やりたいよぅ。

 というか、試験勉強のためにここ1年間が全部持っていかれたので人生が全く進んでいない。進んでいない! 早く人生を進めたいです。

 論述受かる気しねぇ~。

 

 2022/6/13追記

 短答通ってました。

 

 

 

 本当は、「新興カルチャーは10年やそこらで技術が著しく進歩する点が面白い」という話と、「『明日ちゃんのセーラー服』は主人公の振る舞いが無自覚マッチョ的な印象を受けてしまってキツい」という話と、「倍速視聴に対するスタンスを決めるのは、関連する分野(分析美学*2とか映画史*3とか、映像再生機器の登場がもたらした視聴態様の変化*4とか)を一通り勉強してからでもいいんじゃないの? なんでそんなに倍速視聴を批判したがるの? 逆に、等倍速視聴が『正しい』と主張する根拠はどこにあるの? そうやって、自己に批判の目を向けず、複数の観点から問題を検討することもなしに短絡的に是非を判断しちゃう人って本当に作品を『正しく』観られているの?」という話をしたかったんですが、全然書けなかった!

 

 6月も頑張りましょう。